「黙っててください」飼ってはいけない犬を見つけてしまった。だが、住人の対応に思わず笑えたワケ
ベランダ越しの爪の音
住みはじめて半年、隣のベランダから小さな音が聞こえるようになりました。爪が床を掻くような、かたい音です。
洗濯物を取り込むたび耳に入り、夜になるとそれが鳴き声に変わります。
「今の、犬だよね」
「気のせいじゃない?」
夫はテレビのほうを向きました。
この建物では動物を飼えません。それでも私は、しばらく黙っていました。
隣は、私より少し若い女性です。帰りはいつも遅く、廊下で会うと会釈をして、すぐ扉の内側へ消えていきました。
リードを二度落とした手
鉢合わせたのは金曜の朝です。
回覧板を届けようとチャイムに手を伸ばした瞬間、扉が内側から開きました。
足元を、白い犬が駆け抜けていきました。
「あっ」
お互いの声が重なりました。
彼女はリードを握り直そうとして、二度取り落とします。指先が震えていました。
「違いますよ、預かってて」
犬は私の靴の匂いを嗅いで、しっぽを振っています。人に慣れた、おとなしい子でした。
「だから、黙っててください」
私は思わず、こう答えました。
「ルールはルールだと思いますよ」
彼女は口を開きかけて、そのまま閉じました。犬を抱き上げ、会釈もせずに扉を閉めます。
廊下には、リードの金具の音だけが残りました。
日曜の夕方に届いた報告
それから二週間、私は誰にも言いませんでした。
管理会社に電話をかけようとして、やめたことが何度かあります。決まりは決まりです。
それでも、あの震えていた指先を思い出すと、番号を押しきれませんでした。
すれ違うたび、彼女は先に目を伏せます。夜の鳴き声は日ごとに小さくなっていきました。
日曜の夕方、扉を開けると彼女が立っていました。腕には犬がいます。
「管理会社に、行ってきました」
顔つきが、あの朝とは違っていました。
「姉が入院して、行き先がなくて。話したら、三か月なら届け出で預かれるって」
「黙っててくださいなんて、言う筋合いじゃなかったです」
頭を下げた彼女に、私は首を振りました。
「言われなくても、言いませんでしたよ」
彼女の腕から力が抜けて、犬が床に降りました。
今は廊下ですれ違うと、目を伏せずに笑うようになりました。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、40代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














