「私はいま話しているんだ!そこに置いておいてくれ」法事の席でお酒を注いで回っていた私。だが、一人ずつ注ぐのをやめて気づいたこと
話の途中で、私の手が止まった
法事の会食でのことです。読経と供養が終わり、親戚が席を移して食事を始めました。
私は徳利を持って席を立ち、一人ひとりに声をかけながらお酒を注いで回っていました。
昔から親戚の集まりではそうしていたので、特に疑問を持ったことはありません。席を回って飲み物を勧めるのも、こういう場での気遣いの一つだと思っていました。
すでに話が弾んでいる人も多く、「どうぞ」と声をかければ、お猪口を差し出す人もいれば、手で「結構です」と合図する人もいます。
卓を半分ほど回ったところで、住職のそばまで来ました。
住職は隣の人と話していて、こちらには気づいていないようでした。私は少し待ってから、もう一度声をかけました。
すると住職がこちらを向き、少し大きな声で言いました。
「私はいま話しているんだ!そこに置いておいてくれ」
周囲の話し声が一瞬だけ静かになりました。
私は徳利を持ったまま立ち止まり、「失礼しました」とだけ答えました。
そのときは、せっかくの話を邪魔してしまったのだと思いました。
こちらは気を遣っているつもりでも、話が盛り上がっている人にとっては、そのたびに会話を止めることになります。そう考えると、無理に一人ずつ回らなくてもいいのかもしれません。
徳利を中央に置いてみると
私はそのまま徳利を卓の中央に置きました。
「徳利は真ん中に置きますので、ご自由にどうぞ」
誰かに向けて言ったわけではありません。それだけ伝えて、自分の席へ戻りました。
しばらくすると、向かいに座っていた親戚が徳利に手を伸ばしました。自分のお猪口に注いだあと、そのまま隣の人にも勧めています。
別のところでも、話をしながら自然に徳利が回っていました。
「まあ、どうぞ」
「じゃあ少しだけ」
私が席を立って回っていたときと違い、誰かが来るのを待つ必要もありません。飲みたい人が好きなタイミングで手を伸ばし、ついでに隣の人にも勧めています。
住職も話が一段落すると、自分で徳利に手を伸ばしました。
少しして目が合うと、住職は先ほどより穏やかな声で言いました。
「さっきは話し込んでしまって」
私は「いえ」とだけ返しました。
隣に座っていた従兄弟も徳利を取り、「このほうが気楽だな」と笑いながら私にも勧めてくれました。
それ以来、法事の会食では最初から徳利を卓の中央に置くようにしています。親戚から不満を言われたことはありません。
注いで回ることも一つの気遣いです。ただ、相手が話しているなら、その時間を邪魔しないこともまた気遣いなのだと思います。
あの日は大きな声に驚きましたが、自分が当たり前だと思っていたやり方を見直すきっかけになりました。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた60代以上男性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














