「こんなにやる必要あるの?」法事の席で出た疑問。だが、伯父が出した提案で状況が一変
同じような集まりが、年に何度も続いていた
祖父の法事で、親族が斎場の座敷に集まったときのことです。
祖父が亡くなってから、親族で顔を合わせる機会が続いていました。毎回ほぼ同じ顔ぶれで食事をし、近況を話して帰る。
気づけば、その年だけでも同じような集まりが3回ほどになっていました。
(こんなにやる必要あるの?)
それを特に不満に思ったことはありませんでしたが、予定を合わせるのが大変そうな人もいて、少し負担になっているのかもしれないとは感じていました。
食事が半分ほど進んだころ、義姉が何気ない調子で言いました。
「こういう集まりって、年に3回も同じようにやらなくてもいいんじゃないですか」
責めるような言い方ではありませんでした。それでも、それまで続いていた会話が途切れました。
誰かが反対するわけでも、賛成するわけでもありません。私もどう返せばいいのか分からず、黙っていました。
伯父は、回数を減らすことを提案した
少し間があってから、伯父が箸を置きました。
「そうだな。次からは何回もやらずに、祖父の好きだった店で食べましょう」
そして「あの人は、こういう座敷より、あの店でみんなと食べるほうが好きだったから」と続けました。
誰かの意見を否定するのではなく、集まる回数を減らし、その分、祖父を思い出せる場所で会おうという提案でした。
すると伯母が「あの店、まだやってるの?」と尋ねました。
伯父が「この前、前を通ったときはやっていたよ」と答えると、そこから祖父がよく頼んでいた料理の話になりました。
「私、その店は行ったことないです」
義姉がそう言うと、伯父は「じゃあ今度、みんなで行ってみよう」と返しました。
さっきまで止まっていた箸も、いつの間にかまた動き始めていました。
次の集まりでは、昔の祖父の話が増えた
その後、親族で集まる回数は少し減りました。
次にみんなで食事をしたのは、伯父が話していた祖父の好きだった店でした。
料理が運ばれてくるたびに、「これはよく頼んでいた」「こっちはあまり食べなかった」と、祖父の思い出が自然に出てきます。
義姉も笑いながらその話を聞いていました。あの日の発言を責める人はいませんでした。
集まること自体をやめたいわけではなくても、同じ形を何度も続ける必要はない。義姉の一言をきっかけに、親族みんながそう考えるようになったのだと思います。
何より、形式通りに座敷へ集まっていたころより、その店では祖父の話をずっと多くしていました。
私もそこで初めて、祖父が好きだった料理を知りました。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた20代男性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














