「うちは昔からこうしているから」と初正月での台所仕事を押し付けられた私。我慢出来ず夫に相談した結果、状況が一変
初正月、食卓から飛んできた義叔母の一言
結婚して初めての義実家の正月、私はずっと台所に立たされた。
義母は「うちは昔からこうしているから」と前掛けを差し出し、義姉も義妹も子どもを盾に台所には現れなかった。
ようやく食卓につけたと思った瞬間、義叔母がにこやかに身を乗り出した。
「で、子どもはいつ?」
立ちっぱなしで運んだ皿を握る指に、思わず力が入った。
半年後、夫と紙に書き出した二度目の役割分担
帰宅した車内で力が抜けた私は、夫を説得した。
「来年は私も座敷に座らせて」と泣きながら頼んだ夜、夫はようやく「ごめん、わかった」と頭を下げてくれた。
2回目の年末、私たちは紙とペンを並べて、誰が何をするか書き出した。
朝食の片付けは夫、昼の仕込みは義母と義妹、おせちの盛り直しは義姉、私は配膳と茶出しだけ。
夫は「俺から母さんに伝える」と言ってくれた。
大みそかの昼、義実家の玄関を開けた瞬間から、私の心臓は早鐘を打っていた。
夫がリビングで親戚に挨拶を済ませたあと、義母を台所に呼んで切り出した。
「今年は俺も台所に立つから」
湯気の立つ鍋を前に、義母の手が一瞬止まった。
義母の沈黙、そして3年目に消えた「うちは昔から」
沈黙は数秒だった。
義母は「そう」とだけ言って、ふきんを丁寧に畳んで台に置いた。
反論も叱責もない、ただの一区切り。
その晩から、空気が静かに動きはじめた。
夫が大皿を洗い、義妹が煮物の味見役を引き受け、義姉は娘の手を引いてお茶を運んできた。
私は配膳と茶出しを担当し、合間に座敷の親戚との会話にも入れるようになった。
それから1年後の3回目の帰省。
義母から届いたのは「今年は重箱詰めるだけ手伝ってくれる?」という一言だけだった。
朝から晩まで一人で台所に立っていた初年度の風景は、もうそこになかった。
「うちは昔からこうしているから」
あれほど私を縛った義母のフレーズも、いつのまにか口にされなくなっていた。
義実家との距離は、我慢で詰めるものではなく、夫婦で一度はっきり線を引いてはじめて整うのだと、二度目の正月が教えてくれた。
※tendが独自に実施したアンケートで集めた、40代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














