「途中で置いてきちゃったの」雨の日も犬の散歩を欠かさない人から聞いた、昔の犬の話に戸惑ったワケ
いつも犬を大切にしている人だと思っていた
我が家の裏手に接する家に、犬をとても大切にしている女性が住んでいる。
雨の日でも合羽を着て、決まった時間になると散歩へ出ていく。
私が見かけるかぎり、散歩から戻ると玄関の前で犬の足を一本ずつ拭いてから家へ入れていた。
夏は日陰を選び、寒い日は犬に上着を着せている。
ごみ出しの時間が重なった朝、その人が犬の頭を撫でながら話してくれたことがある。
「病院も年に二回は連れていってるの。この子も、もう若くないからね」
「本当に大事にしてるんですね」
そう言うと、その人は犬を見下ろして笑った。
「この子が最後の一匹だから。これから新しく迎えても、最後まで見てあげられるか分からないでしょう」
その言葉を聞いてから、私はその人を、犬のことをきちんと考えている人なのだと思っていた。
休日の午後、庭先で植木鉢を洗っていると、裏手の塀の向こうから声をかけられた。
「ねえ、ちょっと懐かしいものが出てきたの。見る?」
手には、輪ゴムでまとめた古い写真の束があった。
塀越しに受け取って見ると、若いころのその人と、何匹もの犬が写っている。
「この子は長生きしたのよ。十五年」
「十五年ですか。すごいですね」
「そうなの。最後のほうは歩くのもゆっくりだったけどね」
そう言いながら写真をめくっていた手が、一枚のところで止まった。
そこには、小さな犬を抱いた若いころのその人が写っていた。
「ああ、この子。かわいかったんだけどね。とにかくよく鳴く子だったの」
「この子も、ずっと一緒だったんですか?」
何気なく聞いたつもりだった。
けれど、その人は写真を見ながらあっさり言った。
「ううん。途中で置いてきちゃったの」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
「…置いてきたって、どういうことですか?」
写真を見ながら聞いた、昔の話
私が聞き返すと、その人は少し遠くを見るような顔をした。
「昔の話よ。何をしても鳴きやまなくてね。私も若かったし、どうしたらいいか分からなくなっちゃって」
声には困っていた当時を思い出しているような響きがあった。
「それで…その子を置いてきたんですか?」
「そう。人の多いところだったから、誰かが拾うでしょって思ったの」
私は言葉に詰まった。
今、目の前にいる人が毎日犬の足を拭き、雨の日にも散歩へ連れていく姿と、聞いたばかりの話がうまく結びつかなかった。
「そのあと、どうなったかは…」
私がそこまで言うと、その人は小さく首を振った。
「分からない。でも、かわいい子だったから。誰かが拾うでしょって、そのときは本気で思ってたのよ」
塀の向こうでは、今の犬が日なたに伏せていた。
「…心配にはならなかったんですか?」
思わず聞くと、その人は少し黙った。
それから写真の角をそろえながら、ぽつりと言った。
「人通りの多い場所だったしね。誰かが拾うでしょって…そう思うしかなかったのかもね」
同じ言葉を聞くのは、それで三度目だった。
最初の二回とは少し違って、最後だけは自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
「そう…だったんですね」
私はそれ以上、何を聞けばいいのか分からなかった。
その人は写真に輪ゴムをかけ直した。
「今思えば、私も余裕がなかったのよね。犬だって、みんな同じじゃないのに」
そう言って、今の犬の首もとを撫でた。
「この子は本当に手がかからないの。呼んだらちゃんと来るしね」
私は曖昧にうなずいた。
それ以来、私から昔の犬について聞いたことはない。
顔を合わせれば、以前と同じように天気や今の犬の体調について話している。
今朝もごみを出しに外へ出ると、その人がちょうど散歩から戻ってきたところだった。合羽の裾が雨で濡れている。
「今日はずいぶん歩きたがってね。もう帰ろうって言っても、なかなか帰ってくれないのよ」
そう言いながら笑い、その人は玄関先で犬の濡れた足を丁寧に拭いていた。
今いる犬を大切にしている姿は、以前と何も変わらない。
だからこそ私は、あの日三度聞いた「誰かが拾うでしょ」という言葉を、今でもどう受け止めればいいのか分からずにいる。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた40代女性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














