「こんなに残ってる。もったいない」葬儀後の宴会場。見てしまってはいけない気がした、従業員の行動とは
膳に残った、食べきれないカニ
祖父の葬儀の日、祖父の家から歩いて数分の小さな旅館で会食をした。襖で仕切られた広い和室に座卓が並び、親族と参列者を合わせて二十人ほどが座っていた。
膳の真ん中には、赤いカニの足と爪がのっていた。
「これ食べていいの」
いとこの子どもが爪を持ち上げると、母親がすぐに手を伸ばした。
「いいけど、殻が固いから気をつけて」
私も自分の膳のカニを手に取ったが、きれいに身を出すのは難しかった。
箸を使ってみても途中で身が切れ、周りでも同じように苦戦している人が多かった。
祖父が最後まで畑に出ていたという話をしながら食事を続け、汁物や煮物はほとんどなくなった。それでもカニだけは、殻の中に身を残したままの膳がいくつもあった。
「残しちゃって、悪いね」
「私も全然きれいに食べられなかった」
そんな声が聞こえる中で会食は終わった。
親族たちは連れ立って玄関へ向かったが、私は母にトイレへ寄ってから行くと伝え、一人で廊下の奥へ向かった。
「先に駐車場にいるね」
「うん、すぐ行く」
誰もいないはずの宴会場から聞こえた音
用を済ませて手を洗い、同じ廊下を戻った。
さっきまで聞こえていた親族たちの声はもうなく、建物の中は急に静かになっていた。宴会場の襖は開いたままで、照明の光だけが廊下まで伸びている。
そのとき、宴会場の中から皿が重なる音がした。
続いて、座布団を積むような音。
そして三度目に、乾いた殻が割れる音が聞こえた。
片付けをしている人がいるのだろうと思いながら襖のほうを見ると、旅館の制服を着た女性が座卓の間に座っていた。
そばには大きな盆が置かれている。
女性は、片付ける途中らしい膳からカニの足を一本取り上げた。
「あら、こんなに残ってる。もったいない」
そう独り言を言いながら殻を割り、中に残っていた身を口へ運んだ。
私は思わず立ち止まった。
私たちが食べ終えた膳に残っていたものだった。
女性はもう一本を手に取った。
そのとき、ふいに顔を上げた。
目が合った。
私は見てはいけないものを見てしまったような気がして、すぐに目をそらした。しかし女性は慌てる様子もなく、手に持ったカニを置こうともしなかった。
そのことが、なぜかいちばん怖かった。
私は何も言えないまま足早に玄関へ向かい、靴を履いて外へ出た。
「どうしたの、そんなに急いで」
駐車場で待っていた母に聞かれた。
「なんでもない。行こう」
その場ではうまく説明する気になれなかった。
車に乗ってから振り返ると、宴会場の窓にはまだ明かりがついていた。今でもあの旅館のことを思い出すと、カニを食べていた姿よりも、目が合っても手を止めなかった女性の表情を先に思い出す。
※本記事は、tendが独自に実施したアンケートで寄せられた30代女性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。














